こんにちは。ひさおです。
本日はちょっと重いテーマです。
死についてです。
私はそこそこ冷静な人間なので死についても冷静に受け止めてます。
いずれは皆死にします。病気、他殺、事故など。あっけないものです。
が、、やっぱり周りの人達の死はかなぴーです。
ひさおは現在32歳ですが多くの人の死を経験しました。
・おじいちゃん ・幼馴染 ・東京の友達 ・上京してできた同郷出身の友達
老衰による死、自殺、突発的な発作による死、酔っぱらって車に踏まれての死、など死因は様々です。
急な死はもちろんですが、高齢になり弱っていき、死までの時間がありながら死んだ場合でも、やはり死者に対しての後悔はあります。
ひさおの後悔を述べましょう。
病気で死んでしまった。
脳梗塞で倒れてからの数十年は言語障害や感情をコンロールするのが難しくなってしまったが、それでも優しく、仕事が好きなおじいちゃんだった。
遠くで暮らしてることも、あまり会いに行けなかった。美味いメシにも連れて行けなかった。
その間にボケが進行してしまったり、さらに弱ってしまったりで元気な姿のうちに恩返しをすることができなかった。
自殺で死んでしまった。
高校に進学して別々の高校になり、あまり連絡を取っていなかった。結局自殺して数年後にその事実を知った。
コミュニケーションを取ることで、もしかしたら自殺を防げたのではないか。
何か力になれたのではないか。
飲み会の途中に発作が起き、そのまま死んでしまった。
1年に1回会うかどうかの仲だったが、誘えばノリ良く来てくれるヤツだった。
20代後半からプロ格闘家になり、試合にも出ていたが応援に行く機会はあったのに結局行けなかった。
一度くらいは観に行ってやればよかった。
酔っぱらって路上で寝てるところをトラックに踏まれて死んでしまった。バカだなー。
共通の友人が多かったこともあり、上京後に連絡を取り合い二人でも飲みに行く仲だった。
ただここ数年は休日が合わずに、飲みに行けてなかった。
いや予定を本気で合わせようとはしてなかったな。いつでも会えると思ってたから。
死ぬ数日前に、「女を紹介する」とLINEしてきて連絡を取り合ったのが最後になってしまった。
お前が死ぬから気まずくなって、結局女の子と会わなかったよ笑
などなど。
後悔は尽きないです。
なぜ尽きないかと言うと
全てやろうと思えば出来たから
ただここは矛盾しますが、
全てやっても結局後悔は尽きません。
何回飲みに行こうが、応援に行こうが、お見舞いに行こうが、満足することはないのです。
とはならないですよね。
そこで思うようになったのが、今回のタイトルです。
故人に対しての後悔は、周りの生きてる人に注ぐとよい
決して故人に対しての後悔が無駄というわけではないですよ。
故人を想う気持ちはとても人間らしく、とても尊いものです。
後悔をすることだけで終わるのではなく、この尊い想いを今関わりを持ってくれている人たちに注ぐと、
もっと優しく、もっと深く、思いやりを持った人間になれます。きっと。
~あとがき~
数日前に母から「おばあちゃんがもう長くない」と連絡を受け、後悔の気持ちが芽生え、この記事を書くことにしました。
孫の中でも私は特に可愛がってもらい、小さい頃は連休になるとよく泊まりにいってました。
お小遣いもたくさんもらったし、学費も援助してくれたし、感謝し尽くせません。
その恩返しが果たして出来たのだろうか?と考えると、すぐに後悔してしまいます。
※恐らくおばあちゃんはそんなもの望んではないはずですが。無償の愛ですね。
おばあちゃんにしてもらったことを、今度は私が子や孫にすることで恩返しになると思って、
これから先の人生、精一杯生きていきます。
あ、俺彼女いねーし。独身だわ。大丈夫かな。。。。。
私も去年なんか死にかけたので…よくわかりますよ。
逆の立場だけど考え方も少しだけ変わったし、ひさおくんは書かれている思いは素晴らしいと思います。
行動に移すかどうかじゃないかな?後悔しないことって。
やって後悔することってたぶんないと思う。
って思ってる。
きたでさん!コメントあざます。
死にかけた人のコメント参考になります笑
改めて無事で何よりでした。
行動に移すってとても単純だけど難しいんですよね。
でも死んだら終わりなので、行動していきます!